
ひとりの時間を育んでいるでしょうか。
もちろんそれは淋しさではなく、心が何を感じているかを知る静かな自覚の旅。自分にしかできない努めとしての時間です。
若い頃にたくさんした旅も、仕事で訪れた見知らぬ街も、年齢を重ねるにつれ身動きが狭くなっていきます。
友達と気軽に決めて旅に出た昔と違い、お互いの家族や休日の取り方が合わないと、なかなか遠くへは飛んではいけません。
でもそうでしょうか。
もう旅の目的は若いときと違い、より明確な過ごしかたになったからではないかと思えるのです。
最近のわたしはこうです。
たとえば伊勢神宮は日本の始まりを創りました神々のお住まいです。
日本が神話の国である証に日本書記という本が残されています。
神様という見えない存在の有無を問うより、その前に、
このわたしたちの国の日本らしさを誰が教えてくれるでしょう。
着物の着方や四季の暦の祭ごと、
おせち料理に願いが込められた和食という命の支え、
凝縮した美の言葉の俳句など、
旅のなかでなぜ日本なのかという答えが現れてくるのです。
偶然に生まれたこの国に、なにをか使命を与えられて日本人としているのか…
そんなことを考えたこともないのであって。
だからか神社に手を合わせ頭を下げていたい旅もあるのです。
ポプラ社 「伊勢神宮ひとり歩き」