
つらいとき、
悲しいとき、やりきれないとき、不甲斐ないとき、情けないとき、
もともとその気持ちの種は怒りでした、
というお話しです。
今日の写真の花は、朝いちばんにもう花瓶でしおれていました。
お水は替えていたけれど早い終わりでした。
花の終わりはあっけない。
潔いいい椿の花はポトリと花ごと地面へ落ちます。
武士が首で覚悟を示すようにその花は、武家で植えられて志に例えられていました。
桜も吹雪のようにいっせいに花びらを降らし幕を閉じます。
ものごとも、終わりは切ない。
人の縁も。
あのときのまま、ということは世の中には一つもないよと、釈迦は広く伝えました。
それを漢字で無常と書きます。わたしには無情にも映る言葉ですが…
ケシの花が好きでした。ポピーです。咲き始め傷付いて見える、
花びらがくしゃくしゃなところ。
萎縮してシワシワなのです。バラみたいに毅然とない。
さらにこの花は…切り花にすると終わりがいっそう早い。
なので最後は花だけ切ってボウルに浮かべています。
開きった花が、海水浴に来た少女のように無邪気です。泳げなくても花は揺らいで見えたりします。
それは部屋のエアコンが運んだ風のせいだとしても、最後の最後の時を開花させて訴えかけます。
見てくれなんて言わない花の、その求心力。
求めているのはこちらなのに。
ほうらね。ともみせず。ただそのに在る。今に生きて。
くしゃくしゃに泣いていたつぼみがここまであでやかに咲くなんて…
でも、最後はこのように花を開ききれる力を備えています。
実はしわしわな花びらは、シワを納める花びらの柔軟性でした。
傷ついて、怒りが込み上げたら、
ケシの花をみてみるのでいいとおもいます。
咲きはじめから、
最後まで、
それは自分の最後の日まで、
すべてものごとは、
途中でしかありません。
だから、
結論は急がなくていい。(金曜日で忙しいときになんですが)
花もそう揺れているようでしたよ。