
一日三度ドレスアップする女性を見たことがありました。
そのレディは午前中はワンピース、午後からはスーツあるいは着物、そしてディナー時には写真のようなクチュールドレスでした。
淡々と気負うことなく着替えるかたちで、毎日がその御様子でした。祖母ほどの年齢のそのヒトは、昼下がりには、明治記念館にあるカフェにお出ましになられます。
ある時期に偶然居合わせて目を奪われたそのたたずまい。独りの女性のていねいな暮らしぶりを垣間見たように思えました。
面倒がらず、義務化せず、着替えを時間の区切りとする様子があるとはなかなか気がつけないものです。
朝、何を着るか、それほど手持ちのない範囲から悩むようなわたしには、一日三度のお召し替えはフアンタジー小説を読むような出来事です。
リラックスなら一日中でもパジャマという気分があるにせよ、朝から夜まで着た服地は、クタクタになります。
シルクでさえそんなくたびれた布になっていく。
服もヒトと寄り添っているあいだ仕事をしていて、その役目は思っているより大きいのではないかと考えることができるでしょう。
一度着たドレスはもう着ないという、往年の映画女優の名言もあながち虚栄心からではなさそうな答えが伺えます。
確かに豪奢な衣装ほど一度着たら、その布の放つ輝きが肉体へ吸収されていくのを感じます。
そして、しっかりと気持ちが入り込んだ手作業でこしらえた服ほど、多くのヒトの視線を浴びています。見つめられた服、大勢の視線を吸い取ったドレスとは、どれも布が重く古くなっていきます。それは羨望や嫉妬の矢が飛んでくる夜会にも、ドレスの布が盾になるくらい・・・(だからダイヤで、ヒトの気を受けないで反射させるというマダムもおられます)(ウケる)
着ること・・・
それは見られることも指します。
それは、
ヒトなかへ出て行くときに服に与えられた使命なのです。
着る側にとっても、たとえ一度きりしか着ることがなかったドレスほど、記憶に残るもの。
そして、
いつか着るだろうドレスは、いつまでも出番がないことも女は知るのです。
見られる服と一体とはいえ、
この着る側の心理は、必ずしも一致しません。
好きだからこれを着ていたい!そして見られていることも楽しみたいのという、
相思相愛な女性と服。
まさに、
あの一日三度のドレスアップはそのように受け取れたのです。
さて、わたしは日に三度の着替えより、
部屋スリッパ、これをですね、毎日違うものにかえられたら嬉しい派であります。(未然形)
ドレス:ICANDY新着コレクションより
ICANDY