
なにかやると決めた運動がくじけそうなときも、
ウエアで気持ち続投かと思えます。
インドの古い教えでは、退屈こそが怠慢をはねつける、と有ります。
どんな犠牲も、それを払い積んだ行いにはひとつも無駄はないのだよと教えて聖人は頷いています。
犠牲を払ったと文句を言うとき、怠慢だったと思わないで済んだことを喜ばなければなりません。
退屈だと修行をいやがるなら、なにもしていなかったらどうだったか…それを忘れています。
しかし、やった行い、積んだ行いは、あるときレベルアップするに直面します。
退屈はまさにそのレベルアップの機会を促しているのです。
やらなければならないことなんて思うなら、身につかないからやめておしまいなさい。
インドの聖人は続けて言いました。
それがどれだけクオリティの高い時間なのかもっと考えなさい、そしてそのクオリティを捧げなさい。と。
道は長いのです。
すべてがまだ道の途中であるのでした。
歩きます。
ペタペタ(今日は草履か)